Menu Nitto ATP Finals ロンドン・O2アリーナ/2019年11月10日(日)~17日(日)

Nitto ATP Finals 大会の歴史

ATP(男子プロテニス協会)の初代会長であるジャック・クレーマーが、1969年にグランプリという年間を通じた大会のシリーズ構想を打ち出して以来、男子プロテニス界では最終戦が常に注目を集めてきました。1970年12月に東京で初めて開催されたマスターズは、続いてパリ、バルセロナ、ボストン、メルボルン、ストックホルム、ヒューストンで最高峰の大会として実施。1977年から1989年までは、ニューヨークのマジソンスクエアガーデンで13年間にわたって開催されました。1990年にマスターズはATPツアー・チャンピオンシップへと発展し、1999年までフランクフルトとハノーバーで実施。2000年にはテニスマスターズカップと名称を変え、リスボン、シドニー、ヒューストン、上海で開催されてきました。2009年には、世界中で最も人気のあるエンターテインメント・アリーナ、ロンドンのO2アリーナに会場を移し、Nitto ATP Finalsと名称を変えました。

1970-1976

1970年に東京で初めて開催された最終戦はラウンドロビン方式で、スタン・スミスが優勝しました。1971~75年にはイリー・ナスターゼが5年連続で決勝に進出し、4度の優勝。1974年の決勝ではギジェルモ・ビラスがナスターゼに勝利し、1976年にはマニュエル・オランテスが優勝しました。

1977-1989

1977~89年の最終戦は、ニューヨークのマジソンスクエアガーデンで開催されました。ジョン・マッケンローは3度の優勝のうちの初めての優勝を、1978年に故郷で達成。ビョルン・ボルグは1979・80年に2年連続優勝を果たし、イワン・レンドルは1980~88年に9年連続で決勝に進出しました。

1990-1999

最終戦はATPツアー・チャンピオンシップとして、ドイツのフランクフルトとハノーバーで開催。米国のピート・サンプラスはこの時期に5度タイトルを獲得しました。1996年の決勝では、サンプラスが地元期待のボリス・ベッカーを、3-6, 7-6(5), 7-6(4), 6-7(11), 6-4のスコアで破りました。

© Getty Images

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1999

1999年12月9日、4大大会とITFとATPは共同で男子の最終戦、テニスマスターズカップを立ち上げました。

2000

グスタボ・クエルテンは、年末ランキング1位を獲得した初めての南米選手となりました。

2001-2002

レイトン・ヒューイットは、2001年のシドニーと2002年の上海で、2年連続優勝を飾りました。

© 2003 Getty Images

2003-2004

ロジャー・フェデラーは、2002年の最終戦に初出場を果たしました。ヒューストンのウエストサイドテニスクラブで、2003年にはアンドレ・アガシ、2004年にはレイトン・ヒューイットを下して、2年連続でタイトルを獲得しています。

© 2005 Getty Images

2005-2008

2005年に最終戦は上海に戻り、Qi Zhongスタジアムで開催。決勝ではダビド・ナルバンディアンが、ロジャー・フェデラーを6-7(4), 6-7(11), 6-2, 6-1, 7-6(3)で破っています。フェデラーは2006・07年にふたたび優勝。続く2008年は、ノバク・ジョコビッチが優勝しました。

© (c) Getty Images

2009-2016

2009年、最終戦はATPツアー・ファイナルとして、ロンドンのO2アリーナで生まれ変わりました。ロジャー・フェデラー(2010・11年優勝)とノバク・ジョコビッチ(2012~15年優勝)と並んでいるのは、トーナメントディレクターとATPの会長などを務めていた、故ブラッド・ドリューエット氏。

© 2017 Getty Images

2017-

2017年5月、ATPは最終戦のロンドン開催を2020年までの2年延長することと、革新的な日本の企業である日東電工株式会社と新たにタイトルスポンサー契約を結んだことを発表しました。2017年大会は新たにNitto ATP Finalsとして開催され、グリゴル・ディミトロフ(ブルガリア)が栄冠に輝きました。2018年には、ドイツのアレクサンダー・ズベレフがトロフィーを獲得しました。

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